2011年7月30日土曜日

盆踊り(中野)

盆踊り(二丁通)

盆踊り(蔀屋)

盆踊り(川崎)

盆踊り (滝木間)

盆踊り(清滝団地)

京都から四條畷に帰ってきました!

公共政策学会

京都産業大学に行ってきました。

四條畷からは少し遠いですが、緑に囲まれたいい大学でした。

2011年7月26日火曜日

地方議会改革


同じく、公共政策学会のシンポジウムの
パネリストとして参加します。

日時:7月30日(土) 15:30~17:30

場所:京都産業大学5号館

テーマ:地方議会改革

インターネットは社会をどう変えるか


公共政策学会の研究大会に討論者として
参加します。

もしお時間あればお越し下さい。

日時:7月30日(土) 13:40~15:10

場所:京都産業大学5号館

テーマ:インターネットは社会をどう変えるか

東北ボランティア5


早朝から夕方にかけてしたボランティアは溝にたまった土、実際にはヘドロの
をかき出す作業でした。

津波の影響で東松島市内の溝はほとんど詰まってしまっている状況です。

そこで、東松島市災害ボランティアセンターが全国から集まるボランティアの方に
手分けして土を除去しています。

溝の上に被せてある蓋を一度外して、土を除去し、また蓋を閉めるという単純な
作業ですが、炎天下の中でしたのでかなり根気が必要です。

ニュースによると、ヘドロの量はガレキの量よりも多いとの
ことだったので部分的には多少力になれたかもしれませんが、
全体としてはまだまだ作業が必要なのだと思います。

また、これらのヘドロを詰めた袋や、大量のガレキ、広場に集められてある
乗れなくなった車、これらを今後どのように処分するかは非常に大きな
問題です。

また、田んぼや畑も津波の影響で塩まみれになっているため
作物が育たない状況になっています。

解決するには土を入れ替えるしかないと思いますが面積も広いので
なかなか難しい問題だと思います。


全体としては震災後4ヵ月経っていたということもあり少しずつではありますが、
復興への道を歩んでいるのではないかと感じました。

一緒にボランティアをした福島の方は

「福島では放射能の関係でガレキやヘドロの処分もほとんど出来て
いない」

と話しておりました。

福島の復興は他の県の何倍もの時間がかかるのだと思います。

こういうことから考えてもこれまでの電力政策や環境問題については
一度リセットして、安全という基本的なことを考え直さなければならない
と思います。

東北ボランティア4


仮設住宅は、大きな敷地に何軒も建てられておりました。

クーラーは一部屋だけは付いていますが、それ以外の部屋は風通しも
悪いため非常に暑くこれからますます暑くなったときには心配です。

また、仮設住宅に住んでいる人は自分達の声が政治に届いてい
ないと不満を漏らしていました。

仮設住宅に支援物資は届くものの必要なものは日々変化するため
それを把握する手法、例えばインターネットで現地の状況を随時報告
する仕組み作りなども必要です。

そして、その情報を元に必要な物資を送ったり、持っていったりする
ことが必要なのだと思います。

災害時における情報の管理こそ重要だと再認識しました。

市役所の様々な重要な情報についてもこれを市役所一箇所
だけに保存しておくのは非常に危険なので、セキュリティを確保した
うえでグリーンホールや総合センターでも情報のバックアップをする
と同時にクラウド上にも保存しておくべきだと思います。

先日、姉妹都市の紀北町に行ったときに紀北町の議員の方が
紀北町のサブサーバーを四條畷市におかしてほしいと言って
おりました。

遠隔地でのバックアップはリスクの分散という観点からも非常に
有益だと思います。
 

東北ボランティア3


塩竈市からバスで30分程の所にある東松島市は
人口は約43,000名で死者1,041名、行方不明者112
ですのでその被害の大きさが分かります。

特に沿岸部は壊滅的な被害でした。

沿岸部にある住宅街は基礎部分だけを残して丸ごとなくなってしまっている状態です。

かろうじて半壊ですんだ家も、恐らく修復不能だと思います。

こうした家は解体費用も自己負担ということになれば金銭的な負担がさらに
大きくなります。

一方、車で10分程の山間部に行くと同じ東松島市と思えないほど震災の影響は
感じられないほど日常の生活をしていました。

住んでいる所が少し違うだけで、生死を分け、また、今後の生活も全く変わって
しまうのだろうという様子を目の当たりにすると命のはかなさと自然の恐ろしさ
を今まで以上に感じました。
 

東北ボランティア2



塩竈市では地震がおきた時間に市長をはじめとする部課長会議

をしていたので、すぐに災害対策本部を立ち上げ、
市民や職員に対して早期に指示を出すことが出来たことも
被害を最小限に抑えることが出来た要因だと言っていました。

また、被災の影響で市役所の3階に入ることとなったFM放送を
使って被災者に対して日々変わる情報を伝えることが出来た
ので情報の混乱が比較的少なく済んだとのことでした。

四條畷市にはFM放送はないので、スピーカーからのアナウンス
を全世帯に聞こえるように徹底しておく必要があると思います。


2011年7月14日木曜日

東北ボランティア1



















東北から帰ってきました。

現地では主に宮城県の塩竈市と東松島市で視察、ボランティアを
してきました。

塩竈市は、仙台市の北東に位置し、仙台駅から電車で約25分の
距離にあります。

塩竈市では最大で2mの津波を想定に訓練はしていましたが、
実際の津波は4mでした。

地震発生から津波が来るまでは約30分。

沿岸部は家屋流失や全壊など甚大な被害で、特に浦戸諸島と
いう島々では家屋の半数が流失や全壊するなど壊滅的被害を
受けていました。

死者は45名、行方不明者は2名。

物的被害に比べて、人的被害が比較的小さかったのは普段から
防災訓練を徹底していたからとのとのことでした。

防災訓練の重要性を再認識しました。

また、市役所庁舎は本年2月に耐震工事が終わっていたため
外から見ても、中から見ても損傷はほとんどなかったと言えます。


防災訓練にしても耐震補強にしても、出来ることをしっかりやって
おくことが塩竈市から学ぶ最大の教訓です。

2011年7月11日月曜日

被災地の状況6

仮設住宅

被災地の状況5

被災地の状況4

被災地の状況3

被災地の状況2

住宅街の跡

被災地の状況1

ガレキの山

すごい量です。

塩竈市役所にて

被災状況についてのお話しを聞いています。

2011年7月10日日曜日

東北に行ってきます

関西若手議員の会で東北ボランティアにむかってます。